【クローズアップ】恩師が語る渡辺勇大のジュニア時代<その1>

地元開催の東京オリンピック。男子ダブルスと混合ダブルスの”二刀流”で出場を果たした渡辺勇大は、遠藤大由との男子ダブルスでベスト8、東野有紗との混合ダブルスでは、同種目で日本勢初となる銅メダルを獲得した。

卓越した技術と意外性のあるプレーで見る者を熱くする”ファンタジスタ”。その原点は、東京の名門・小平ジュニアにある。小学1年生からの6年間を指導した城戸友行監督が、渡辺勇大のジュニア時代について語る。

※本稿は『バドミントン・マガジン』2021年1月号に掲載している連載『恩師が語るあの頃—トップ選手のジュニア時代—』を編集・再録したものです。

混合ダブルスで銅メダルを獲得した渡辺勇大(左)/東野有紗

「小さい頃から諦めない気持ちが強く、人を惹きつける天性の魅力があった」(城戸監督)

短時間集中で、のびのびと

小学校1年生の終わり頃、お父さんに連れられてやってきたのが渡辺勇大との最初の出会いです。今では考えにくいのですが引っ込み思案なところがあって、小平ジュニアに一緒に入ることになる、お兄ちゃんの陰に隠れてしまう小さな男の子、というのがこの時の印象でした。

しかし、コートに入るとまったく様子が変わりました。運動能力が秀でていて、集中力も非常に高い。そのうえ、とても負けず嫌いなんです。その性格がよく出ている出来事が2年生の時にありました。ある大会に出場したのですが、まだ始めて間もないこともあって、大きな子と当たると勝てないんですが、すばしっこく、とにかく諦めない。振り回されながら走り回って、スライディングして、ヒザもヒジも擦りむいているのに、羽根を拾い続けているんです。それを見ていたレディースの方たちから、次第に拍手や声援が飛んでくるくらい、ファイトあふれる試合でした。

この諦めない姿勢、人を惹きつけるプレーは天性のものでしょうね。あのシーンは、今も鮮やかな記憶として私の心に残っています。

オリンピックでも、ファイトあふれるプレーで見る者を魅了した

それでいて、練習そのものはどちらかというと、あまり好きな方ではありませんでした。特に、持続的な、長時間にわたる練習が苦手。練習自体にも毎回必ず来るわけではなく、気分が乗らないと、地元の友だちと遊ぶからお休みするということもしばしばありました(苦笑)。練習も短時間集中型で、幼いなりに、気持ちが乗らなくてダラダラやるくらいならやらない方がいい、という彼なりのルールがあるようでした。

でも、やる時は納得がいくまでやり続けました。彼には、スピードを生かす練習をよく行ないました。ノック練習では、速いテンポで球を出し、実際の試合では体験することがないようなスピードをつくり出す。これにより、例えば高速道路から一般道に降りると速度が遅く感じるように、試合で相手の球のスピードを遅く感じられるようになり、プレーの精度が上がるというわけです。この練習は結構好きだったようですね。

反対に、できてしまうと、すぐに飽きてしまいました(苦笑)。緩急をつける大切さ、試合ではスピードだけではなく、大きなゆっくりとした展開も必要だということを教えたかったのですが、どうやらこれも彼の中に入っていかなかったようでした(苦笑)。

振り返ると、練習頻度にしろ、技術的なことにしろ、彼に関しては、あまり束縛するような指導はしませんでした。そこが、自分でイメージし、自分で考える、彼のプレーにつながっていったような気がしているので、ジュニア期の指導としてはあれでよかったのかなと思っています。

強さの基盤に3つの要素

彼の成長を振り返ると、3つの大きな要素が関係しているのではないか、と私は考えています。

一つ目の要素がライバルの存在です。小平ジュニアには、彼と同い年に小倉由嵩(現ヨネックス)がいました。二人はまったくタイプの異なる選手で、小倉はスロースターター。人よりも早くアップを始めないと、スタートに走られてしまうことが多かった。渡辺は逆で、アップに時間をかけすぎるとかえってダレてしまいました。プレースタイルも、さまざまな技術を駆使して戦うオールラウンダーな小倉に対し、スピードあるプレーをする渡辺、きれいなフォームで教科書のようなプレーをする小倉に対し、自由度が高く、トリッキーなプレーが好きな渡辺、と見事に正反対でした。

小学生時代に個人の全国タイトルはないが、6年生の全小では都道府県対抗で東京の優勝に貢献(写真)。個人シングルスは3位に輝いた。「ある時は闘志をむき出しにし、ある時は冷静に駆け引きをして、常に勝利にどん欲な子でした」と城戸監督

そんな二人が、小学校最後の全国小学生大会6年生以下の部、準決勝で対決。ファイナルゲームの激闘を繰り広げました。他チームからも観客席に人が集まってきたくらい、チームメート同士の死力を尽くした熱い戦いでした。私は心の中で二人に声援を送りながら、悔いのない試合をしてもらいたいという思いでいっぱいでした。

結果は21対23で渡辺の負けでした。しかし、私はこの試合は、初めて渡辺が本気で小倉に勝とうと戦っていたような気がしています。それまでは、チームのエースだった小倉にどこかで遠慮しているような雰囲気が私には感じられたからです。もっとも、本人は否定するように思いますが(笑)。

※『恩師が語る渡辺勇大のジュニア時代』<その2>は こちら

Profile

渡辺勇大〈わたなべ・ゆうた〉

■1997年6月13日生まれの24歳、東京都出身。富岡第一中-富岡高-日本ユニシス。高校時代は選抜・IHで単複優勝、世界ジュニアでは2014年に混合複、15年に男子複で銅メダルを獲得。高校卒業後は17年からA代表入りすると、同年の全日本総合男子複・混合複で2冠。全英OPでは18年に混合複、20年に男子複を制した。167㎝、61㎏。左利き。血液型B。

Profile

城戸友行〈きど・ともゆき〉

1962年生まれ、京都府出身。中学からバドミントンを始め、早稲田大時代はインカレに出場。卒業後、國學院久我山中学高等学校の教員となり、バドミントン部を立ち上げて98年高校選抜出場。個人戦でも全国大会に導いた。2005年、小平ジュニアの監督に就任。若葉カップで男子4回、女子は3回優勝するなど、数々の好成績を収めている。

 

取材・文/永田千恵

写真/Getty Images、BBM

投稿日:2021/08/05

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