【クローズアップ】恩師が語る渡辺勇大のジュニア時代<その2>

地元開催の東京オリンピック。男子ダブルスと混合ダブルスの”二刀流”で出場を果たした渡辺勇大は、遠藤大由との男子ダブルスでベスト8、東野有紗との混合ダブルスでは、同種目で日本勢初となる銅メダルを獲得した。

卓越した技術と意外性のあるプレーで見る者を熱くする”ファンタジスタ”。その原点は、東京の名門・小平ジュニアにある。小学1年生からの6年間を指導した城戸友行監督が、渡辺勇大のジュニア時代について語る。

※『恩師が語る渡辺勇大のジュニア時代』<その1>は こちら

※本稿は『バドミントン・マガジン』2021年1月号に掲載している連載『恩師が語るあの頃—トップ選手のジュニア時代—』を編集・再録したものです。

苦しいケガの経験を乗り越えて

ジュニア時代の成長の要素として挙げられる二つ目が大ケガで、小平時代から小さな体でハードに動き回るのでケガだけが心配でした。その不安が当たってしまい、彼は富岡第一中学校に進学してから、腰椎(ようつい)分離症を起こしてしまいました。このことを聞いた時、正直言って〝このまま潰れてしまうのではないか〞と思いました。

全国中学校大会の個人の部に出場していないのもこのケガのせいです。苦しかったと思います。バドミントンをやめたいと思ったこともあることでしょう。そこから、どれほどの努力を重ねたのか。そこについて直接話す機会はなかなかなく、本人から具体的な話は聞いていませんが、これを乗り越えて高校で活躍するようになった時には本当に驚きましたし、心からうれしく思いました。

中学3年生の全国中学校大会は、団体戦のみ出場。埼玉栄(埼玉)との決勝戦では第2複を担い、ファイナル勝負を制してチームの優勝に貢献した(左が渡辺)

最後の要素は東日本大震災です。彼は当時中学2年生で福島にいましたから、実際に震災と震災後を経験しています。津波も見ていて、襲ってくる津波から逃れ、なんとか助かりました。中学、高校と多感な時期を、厳しい生活を強いられた福島で過ごしてきた。そのことが、彼の心を鍛え、体力、技術の向上につながったのは間違いないと思います。

そして、富岡高校3年生になった渡辺は、東大阪大柏原高に進学したライバル小倉と、インターハイ決勝という最高の舞台で再戦。その会場が、奇しくも若葉カップが行なわれる京都の西山公園体育館でした。二人の対戦を一目見ようと、私はその日、会場に駆けつけました。チームメートとして共に戦った場所で、二人がライバルとして対戦――本当に感慨深く、指導者冥利(みょうり)に尽きる瞬間でした。

最後のインターハイでは、ダブルスとシングルスの2冠を達成。ライバルとの熱戦を制して金メダルを獲得した

地元の東京五輪で輝く姿を

その後、皆さんご存知のとおり、渡辺は素晴らしい飛躍を遂げ、男子ダブルスとミックス、二つの種目で全英オープンのチャンピオンになりました。幼い頃から彼の活躍を楽しみにしていましたが、この結果は私の想像をはるかに超えるものでした。そして、地元出身の選手として、東京オリンピック・パラリンピックの出場を楽しみにしておりました。一人でも多くの方にバドミントンプレーヤー・渡辺勇大の魅力を知ってもらえることを願ってやみません。小平ジュニアの後輩たちはもちろん、小平ジュニアから巣立ったオリンピアン・米倉加奈子先輩、佐藤翔治先輩、トマス杯優勝の立役者・上田拓馬先輩と、クラブの関係者はみんな、心から彼の活躍を期待していることと思います。

初めてのオリンピックで銅メダルを獲得した渡辺(右上)。多くの人々が渡辺勇大、そして東野有紗とのミックスダブルスの魅力を知ることとなった

恩師のまなざし

見て、真似て、学ぶ

指導では、『真似る』ことを大切にしています。そのやり方の一つとして、映像を利用しています。1日練習のような日に、トップ選手の試合映像を流しっぱなしにしているのです。彼はよくそこから学んでいて、いいプレーを見れば見るほど、彼自身のプレーがよくなっているのがわかりました。その姿勢は今も変わらず、きっと、世界のトップ選手から日々いろんなことを盗んだり、学んでいることでしょう。

家族の絆

一緒に小平ジュニアに入った二つ上の兄は、とても優しい性格で、弟がかんしゃくを起こしたりしても、いつも優しく、笑顔で受け止めていました。このお兄ちゃんが同じチームに一緒にいたこと、彼の成長を温かく見守るお母さん、バドミントン愛好家で、厳しいお父さんというご家族の仲が非常によかったこと、これが渡辺の成長を支えてきた、大切な要因だったと思います。

※『恩師が語る渡辺勇大のジュニア時代』<その1>は こちら

Profile

渡辺勇大〈わたなべ・ゆうた〉

■1997年6月13日生まれの24歳、東京都出身。富岡第一中-富岡高-日本ユニシス。高校時代は選抜・IHで単複優勝、世界ジュニアでは2014年に混合複、15年に男子複で銅メダルを獲得。高校卒業後は17年からA代表入りすると、同年の全日本総合男子複・混合複で2冠。全英OPでは18年に混合複、20年に男子複を制した。167㎝、61㎏。左利き。血液型B。

Profile

城戸友行〈きど・ともゆき〉

1962年生まれ、京都府出身。中学からバドミントンを始め、早稲田大時代はインカレに出場。卒業後、國學院久我山中学高等学校の教員となり、バドミントン部を立ち上げて98年高校選抜出場。個人戦でも全国大会に導いた。2005年、小平ジュニアの監督に就任。若葉カップで男子4回、女子は3回優勝するなど、数々の好成績を収めている。

 

取材・文/永田千恵

写真/Getty Images、BBM

投稿日:2021/08/05
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