日本
- 名前
- 奥原希望
- ふりがな
- おくはら・のぞみ
- 英語表記
- OKUHARA Nozomi
- 生年月日
- 1995年3月13日
- 出身
- 長野県
- 身長
- 156cm
- 体重
- 52kg
- 利き腕
- 右
- 血液型
- O
- 所属
- 太陽ホールディングス
- 出身校
- 仁科台中-大宮東高-日本ウェルネススポーツ大
- 世界最高ランキング
- 2位/女子シングルス
幼少時代
3人きょうだいの末っ子に生まれる。「小さい頃からとても要領がよい子でした。上の子が叱られてるのをみて、自分が叱られないためにはどうすればいいかわかっていたと思います。人をよく見ているところは、いまのバドミントンにもすごく生かされているかもしれません」(母)。
小学生時代
高校のバドミントン部顧問をしていた父の影響で小2からバドミントンを始める。開始1カ月後に行なわれた全国小学生ABC長野県予選で優勝。初のABC大会でも予選リーグを突破して決勝トーナメントに進んだ。その後も全国大会に出場し、ABC大会では小4で3位、小6で準優勝の好成績を残した。小学生のころは英語、スキー、水泳、ピアノなどのさまざまな習い事をしていたが、学年が上がるにつれてバドミントン一本に絞っていった。
中学生時代
地元の仁科台中に進学すると、元世界トップ選手が主催する講習会などに積極的に参加し、実力をつけていった。中2の全日本ジュニア新人の部ではシングルスで優勝。中3は全国中学校大会でシングルス8強に留まったが、全日本ジュニアでは高校生を相手に決勝まで進む快挙を成し遂げた。
高校生時代
高校は埼玉の大宮東高校に進学。多くの国内トップ選手を輩出した大高史夫監督、世界選手権優勝の実績がある呉健秋コーチの元で、厳しい練習に励んだ。「(進学先は)両親も最初反対しましたが、最後は私の決断を尊重してくれました」(本人)。高校ではインターハイシングルス2連覇やランキングサーキットVなど国内での活躍に加えて、オーストリア国際(IC)、カナダOP(GP)など国際大会でも優勝を飾っている。高2年時には全日本総合女子シングルスで優勝し、同種目の最年少優勝記録を更新した。高3では日本で開催された世界ジュニアに出場。地元開催の期待に応え、同種目では日本人初となる優勝を達成した。
■バドミントン・マガジン
2012年2月号「クローズアップ 奥原希望」より
2011年2月号「高校選抜の道 15歳、奥原希望の強さの秘密」より
3人きょうだいの末っ子に生まれる。「小さい頃からとても要領がよい子でした。上の子が叱られてるのをみて、自分が叱られないためにはどうすればいいかわかっていたと思います。人をよく見ているところは、いまのバドミントンにもすごく生かされているかもしれません」(母)。
小学生時代
高校のバドミントン部顧問をしていた父の影響で小2からバドミントンを始める。開始1カ月後に行なわれた全国小学生ABC長野県予選で優勝。初のABC大会でも予選リーグを突破して決勝トーナメントに進んだ。その後も全国大会に出場し、ABC大会では小4で3位、小6で準優勝の好成績を残した。小学生のころは英語、スキー、水泳、ピアノなどのさまざまな習い事をしていたが、学年が上がるにつれてバドミントン一本に絞っていった。
中学生時代
地元の仁科台中に進学すると、元世界トップ選手が主催する講習会などに積極的に参加し、実力をつけていった。中2の全日本ジュニア新人の部ではシングルスで優勝。中3は全国中学校大会でシングルス8強に留まったが、全日本ジュニアでは高校生を相手に決勝まで進む快挙を成し遂げた。
高校生時代
高校は埼玉の大宮東高校に進学。多くの国内トップ選手を輩出した大高史夫監督、世界選手権優勝の実績がある呉健秋コーチの元で、厳しい練習に励んだ。「(進学先は)両親も最初反対しましたが、最後は私の決断を尊重してくれました」(本人)。高校ではインターハイシングルス2連覇やランキングサーキットVなど国内での活躍に加えて、オーストリア国際(IC)、カナダOP(GP)など国際大会でも優勝を飾っている。高2年時には全日本総合女子シングルスで優勝し、同種目の最年少優勝記録を更新した。高3では日本で開催された世界ジュニアに出場。地元開催の期待に応え、同種目では日本人初となる優勝を達成した。
■バドミントン・マガジン
2012年2月号「クローズアップ 奥原希望」より
2011年2月号「高校選抜の道 15歳、奥原希望の強さの秘密」より