「トマス杯は自分の集大成として、どん欲にコートを動きまわりたい」<桃田賢斗記者会見-03>

桃田賢斗が4月27日から開催されるトマス杯を最後に、日本代表活動から引退することを発表した。4月18日、記者会見で、桃田が自身の口で、代表引退を決意した経緯や今後について語った。

記者会見-01

記者会見-02

――4月27日から開催されるトマス杯には日本代表として出場する。桃田選手は日本だけではなく、世界中にファンがいる。どんなプレーを見せたいか

最近は、会場に行くと、自分の結果と見合わないくらい、たくさんの人に応援していただけて、本当にうれしい限りですし、トマス杯は自分の集大成になるので、どん欲にコートの中を動き回りたいと思います。そういった泥臭いプレーを見ていただけたらいいかなと思います。

――桃田選手が日本代表に入って初めて大きな国際大会で優勝したのがトマス杯だった。日本代表として最後にプレーするのがトマス杯ということについて

僕自身、団体戦はすごく好きで、今回一緒に参加するメンバーにも、これまで何度も相談したり、話を聞いてもらって、僕自身また頑張ろうと思えたのも、今の日本代表メンバーがいたからだと思っています。そのメンバーと戦う団体戦で、少しでも力になれればと思っています。

――これまでたくさんのタイトルを獲得し、「日本人初」など輝かしい成績を収めてきました。そうしたことを思い返して、どんな思いがあるか

あらためて僕自身もびっくりするくらいの結果を出すことができたなと思います。僕なりにバドミントンがどううまくなれるか、強くなれるかというのを追求していく中で、運が味方してくれて、こういう結果を出すことができたと思いますし、本当に僕は周りの人たちに恵まれていると思います。チームメートや、環境をつくってくれる人たちに感謝したいなと思います。ありがとうございます。

――印象に残る試合に2018年のジャパンOPを挙げた。2015年以前も勝っていたけれど、2017年の復帰以降は、キャリアとしてまた違う思いがあったように見えた

そうですね。2017年の復帰以降は、勝つことだけがすべてじゃないというのと、コートの中での振る舞いだったりとか、コートを出てからの行動だったり、勝つだけじゃなく、応援されるような、周りの人たちから愛されるような選手になりたいと、自分なりに思っていました。その中で、それが達成できたかどうかはわからないですけど、今では本当にたくさんの方に応援していただけるようになって、僕の日本代表としての約10年間は本当に誇らしいものだったんじゃないかなと思います。

――自分のテクニックの中で、世界に誇るもの、これがあったから戦ってこられたというものは。ケガがあった中でも、世界の中で戦えた要因とは

それは、たぶん…シャトルコントロールとスタミナがうまくかみ合って、結果が残せたのだと思います。あとは、自分で自分の弱点というのはすごく理解していて、それを見せないような戦い方が少し上手だっただけかなと。

――事故でケガをして以降は葛藤や苦悩が大きかったと。振り返ってみて、その期間というのは、バドミントン選手として、人間としてどんなふうに桃田選手を成長させたか

僕はバドミントンを感覚でやるタイプで、なんで今のショットが打てたのか、なんでこうなっているのかというのを言葉で説明することができなかったんですけど、一回自分ができなくなって、どうやってやっていたんだろうと考えるようになって。それで少しずつ言葉で説明できるように少しはなったと思うので、そういった部分も、今後自分がバドミントンを伝えていく中で、しっかり言葉で自分が考えたことを次の世代の選手たちに伝えていけたらいいのかなと思います。

――これからもプレーを続けていく。どんな姿を見せていきたいか

チームには所属しているので、必要とされる場面がくれば、そのときのためにしっかり準備して、チームに貢献していきたいなと思っています。

――出身地の香川などで応援しているファンへの思いは

国際大会や国内大会で試合結果を報じてもらって、応援してもらっていたのを感じて、すごく心の支えにもなっていました。自分が国際大会に出ないという決断をしたのは少し申し訳ない気持ちでもあるんですけど、これからも違う角度からバドミントンに貢献していきたいと思っているので、楽しみにしていただけたらと思います。

――中高生時代を過ごした福島への思いについて。福島は、桃田選手にとってどんな存在だったか

僕が苦しいときに、福島県の方々からのメッセージというのは、すごく心強かったですし、どこかで気分転換したいなと思ったときには、後輩たちのいるチームで一緒に練習することで、気持ちを新たに頑張ることができました。本当に感謝していますし、僕がもらったぶん、これからは少しずつ恩返ししていけたらいいなとい思います。

――「被災地の思いを世界に伝えるためにも、自分が世界で活躍することに意味がある」と言っていた

中学から富岡町に寮生として入ってから、本当にたくさんのことがありましたし、あれから10年以上経って少しずつ震災というのが世間の人たちから薄れていく中で、富岡高校卒業の僕だったり後輩選手が活躍することによって、復興に向けての活力として少しは貢献できたんじゃないかなと思います。これまでは試合続きで、直接地域の方や子どもたちとふれ合うということがあまりできなかったので、これからはそういったことにも自分なりに取り組んでいきたいと思っています。

――今後、時間ができて、プライベートでやってみたいことなどは

僕は自動車の運転免許を持っていないので、時間ができたら免許を取れたらと思っています。

取材/バドミントン・マガジン編集部 写真/菅原 淳

投稿日:2024/04/18
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