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【特別掲載】バドミントン・マガジン 黒島結菜 SPECIAL INTERVIEW!<1>

黒島結菜
SPECIAL INTERVIEW

ドラマや映画などで活躍する若手女優の中でも、現在大きな注目を集めているのが黒島結菜さん。沖縄出身の黒島さんは、学生時代にバドミントンに熱中したということで、バドミントン・マガジン500号記念の特別インタビューに登場してもらいました。バドミントンと黒島さんのつながりをお届けします。

写真
堤 博之

ヘアメイク
加藤 恵

スタイリスト
伊藤省吾(sitor)

※この記事は『バドミントン・マガジン7月号(6月22日発売)』で紹介した特別インタビューを一部修正して掲載しているものです。掲載している記事・画像などの無断転載・複写は禁じています。


毎日バドミントンに
取り組んだ中学時代

──黒島さんは沖縄での学生時代にバドミントンをされていたそうですが、始めたきっかけを教えてください。

黒島 私が小学6年生のとき、母が地元のクラブチームに連れて行ってくれたんです。12月ぐらいだったと思いますが、シャトルを打ったら“めちゃくちゃ楽しい!”と思ったので、すぐクラブに入ることを決めました。

──どういう部分が楽しいと感じましたか?

黒島 シャトルを打った時に聞こえる“スパン!”という音の爽快感です。そこにハマったんだと思います。それまではミニバス(バスケットボール)をやっていましたし、もともと体を動かすのはすごく好きなんです。バドミントンも、すぐに馴染めました。

──中学でもバドミントン部に入られたそうですが、部活はどのように取り組んでいましたか?

黒島 たしか、顧問の先生が経験者ではなかったんです。だから、練習は自分たちでメニューを考えながら取り組んでいました。部活が終わった後は、小学生で入ったクラブチームの練習に参加していたので、夜の8時、9時ぐらいまではやっていましたね。当時はバドミントン漬けの毎日でした。

──練習の思い出は何かありますか?

黒島 キツイ練習で覚えているのは、シャトル置き。シャトルを置いたら真ん中に戻って、シャトルを取りに行って、また戻っての繰り返しが、地味な動きでしたけど、すごくキツかったです。あ、こうやって話していると、なんだかあの頃のことを思い出してきました(苦笑)。

──中学生の大会での成績は?

黒島 中学2年生の時に出場したシングルス大会ではベスト8でした。そのエイトがけの試合はすごく思い出に残っています。対戦相手の実力が私と同じくらいで、試合も技術や体力の勝負というより、とにかく気持ちで負けたら終わり! という感じでした。今振り返ると、あんなに頑張ったことはないと思えるほど、気持ちを表に出しましたし、強い気持ちで戦えば負けない、ということを初めて実感した試合でした。当時の私はあきらめが早いというか、“もういいや”って投げちゃう性格もあったので、そんな自分がすごく頑張った試合ということで、すごく覚えています。

──種目はシングルスがメインでしたか?

黒島 とくにどっちとは決めていなかったです。団体戦ではダブルスの試合にも出ていたので、両方やっていました。

──最後の大会は?

黒島 実はバドミントンは2年生の終わりに離れたんです。ちょうど3年生になるタイミングで芸能活動を始めて、東京での仕事もしていくことになったので、そこで潔くスパッとやめました。だから、プレーをしていたのは2年半ぐらいで、3年生の最後の大会は出ていないです。

──高校では続けなかったのですか?

黒島 高校では芸能活動がメインになってしまったので、部活には入っていません。でも、中学でやっていた友達は高校でも続けていて、県チャンピオンになったり、インターハイにも出場していました。私は高校3年生で上京したのですが、その年のインターハイが千葉で開催されたので、友達の試合を応援しに行きました。

(その2に続く)

取材・構成/バドミントン・マガジン編集部

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