【特別インタビュー】松友美佐紀がめざす場所 「誰もできないプレーをしたい、見たことのない景色を見たいという目標はずっと変わらない」

 松友美佐紀には、“求道者”という言葉がしっくりくる。高校時代はインターハイで単複制覇。髙橋礼華とのペアで2016年のリオデジャネイロオリンピックで日本バドミントン史上初となる金メダルを獲得。2020年に髙橋が引退してからは、金子祐樹とのペアでミックスダブルスに本格的に挑戦している。種目を問わずに、バドミントンという競技を極め続けようと日々コートに立つ求道者。その松友のプレーを支えるのが、オーダーメイドインソールの『カスタムバランス』とZAMSTヒザサポーター『EK-1』だ。愛用するインソール『カスタムバランス』は年間40~60足を使用。その成形のためZAMSTを扱う日本シグマックスを訪れた松友にインタビューした。

―コロナ禍で、2021年後半からワールドツアーの大会も再開。それでも2020年、21年とバドミントン界は新型コロナウイルスの影響を大きく受けました。そんな中で、松友選手自身はどのようなことを考えていましたか。

松友 試合の日程が変わったり、遠征の期間が今までより長くなったりと、いろいろな変化がありましたが、それでも、こういう状況の中でもバドミントンができている、バドミントンをやらせてもらっているというのは、本当に幸せなことだと思っています。今までもそうでしたが、より一層、一日一日を大切にして、後悔のないように毎日過ごしています。

―そんな中、2020年8月に女子ダブルスのパートナーだった髙橋礼華さんが引退。松友選手自身は、ミックスダブルスへの挑戦を本格的にスタートさせました。その挑戦から2年がたちますが、ミックスダブルスに本格的に挑む中で発見したバドミントンのおもしろみ、楽しさなど何か感じることはありますか。

松友 女子ダブルスをしているときもそうですし、その前にシングルスをプレーしていたときもそうですが、自分の中にずっとあるものとして「誰もできないプレーをしたい」「見たことのない景色を見る」という根本的な大きな目標自体は変わりません。その中で、新たにいろんな感覚をつかんだり…というのはありますが、今でもそこに向かって毎日を過ごしています。

―動きやプレーなどで、自分で進化している、変化していると思う部分は?

松友 それは、常に進化しようとしていますし、常に変わっていこうと思って練習しています。感覚はどんどん変わっていますね。

―抽象的な質問になりますが、今、練習やトレーニングで力を入れて取り組んでいることはどんなことでしょう。

松友 説明するのが難しいのですが、「自分がうまくなりたい、強くなりたい」という思いがあって練習しているというところは、ずっと変わりません。私にとっては練習やトレーニングなどは当たり前の日常みたいなものです。

―なるほど。「新たに、こういうプレーがやりたいから」と、何か新しいことにトライするということは?

松友 もちろん、それは常にあります。これまでもたくさん話してきましたが、私が海外の選手と対戦し始めたころというのは、中国が本当に強かった時代です。なかなか私たち日本選手が勝てない中で、そうした強い海外の選手たちとバドミントンをさせてもらえたおかげで、「ああいうことをしてみたい」「ああいう選手たちにはどんなふうに見ているんだろう」という思いはずっと持っていて、そうしたプレーをしたいという思いでやってきました。

松友美佐紀の「うまくなりたい」「強くなりたい」「誰もしていないプレーをしたい」という思いは、まだ世界にチャレンジし始めたばかりの十代のころからまったく変わらず、色あせることがない。
松友が髙橋礼華とのペアでナショナルチーム入りしたのが高校3年生のとき。前年にインターハイ3冠を果たした松友は、高校選抜でも団体と個人戦シングルスを制し、世界をめざす若手の登竜門でもある大阪インターナショナルでダブルス初優勝。ワールドツアーの下部大会となる国際大会で栄冠を飾り、より大きな舞台での活躍へとつなげていくのだが、連戦は松友の左ヒザに大きな負担を強いた。当時の写真を見ると、左ヒザに痛々しいテーピングが施されている。
「あまり試合に出なかった時期もなかったので、そんなに皆さんは知らないと思います」と、松友自身が振り返る左ヒザのケガ。ドクターには手術をすすめられたというケガだったが、「普通にプレーはできていたし、手術して試合に出られない期間ができてしまうのは嫌でした」と、松友は手術をせずに、プレーを続けながらの治療を選んだ。
彼女たちの前に立ちはだかる強豪・中国ペアの背中を負いながら練習に明け暮れ、そして試合を重ねる日々。松友が「今はもう手放せない」いうかけがえのない相棒・ZAMSTのヒザサポーターに出会ったのは、2014年。
「私にとっては、絶妙なサポート具合。動きを妨げず、適度なサポート力で、今はなくてはならないものになっています」と、絶大な信頼を置くアイテムだ。
そして、金メダルを獲得したリオ五輪後には、オーダーメイドインソール『カスタムバランス』を試し、6年以上使用を続けている。
「動いているときはもちろん動きやすさを感じますが、試合や練習のあとにより効果を実感しますね。激しいプレーのあとは、足がパンパンに張りますが、インソールを使っていることで、リカバリーが早く、翌日の状態が違います」

成形後の完成品

ZAMSTの担当者によれば、松友はこのインソールを年間40足~60足ほど使用するのだという。その数は、日々、それだけの試合や練習をこなしていることの証明だが、それにはいかに疲労をリカバリーするかがカギになってくるのは言うまでもないだろう。
では、10年以上もの間、バドミントン界のトップを走り続ける松友がめざすゴールとはどのようなものなのか――。

―松友選手が女子ダブルスをプレーする上でずっとめざしていたのが、於洋(ユーヤン)、趙蕓蕾(シャオユンレイ)、馬晋(マージン)といった中国選手たちですよね。ミックスダブルスをするようになって、めざす選手像など変わったりしましたか。

松友 もともとどちらの種目もやっている選手が多かったですし、今も変わらないですね。

―そうした中国選手のプレーを、試合会場だったり、動画で見たりすることも多かったと思いますが、最近ではどんな選手のプレーを見ているのでしょうか。

松友 いろいろな試合を見ますね。全種目を見ます。自分のイメージに重ねながら見たり、いろんなことを感じながら、いろんなことを勉強させてもらっています。

―男子シングルスや男子ダブルスも見るんですね。

松友 そうですね。「こんな感じで打っているのかな」と、いいイメージをもらったり、逆に「こうだったらダメなんだな」ということを教えてもらったり、学びがあります。

―松友選手の話をうかがっていると、結果よりも、自分がめざしているプレーに到達できるかという挑戦を続けているという印象を受けます。

松友 そうですね。やっぱり自分は「うまくなりたい」「よくなりたい」という思いが強いです。おっしゃっていただいたように、女子ダブルスでもそうですけど、例えばオリンピックで金メダルを取るとか、世界1位になるとか、そういうものは自分がうまくなったり、強くなったら自然とついてくるものだと思っているので。

―「優勝したい」など結果に対する目標というよりも…。

松友 もちろんそれは持ってはいますけど、それって限界があると思うんです。「誰もできないプレーをしたい」「今の自分には見えていないものを見たい」「見たことのない景色を見たい」という目標はずっと変わらないですね。

―なるほど。そうなると「自分ってまだまだだな」って?

松友 本当に、そう思います(笑)。

―でも、それも楽しい。

松友 そうですね、はい(笑)。

―「うまくなりたい」「強くなりたい」ということが今一番のモチベーションだとして、その先、何年か先というのは何かイメージがありますか。

松友 今しかできないことがあるので、先ほども言ったようにうまくなって、強くなるということを一番に考えてやっているんですけど、引退後は自分がこれまで経験してきたことを生かせたらなとは思っています。ただ、今のままでは、まだ全然足りていない。もっと人として成長しないといけないと思っているので、妥協しないで、言い訳しない毎日を過ごしていったら、よい道は見えてくるのかなと思います。


【PROFILE】
まつとも・みさき◎1992年2月8日生まれ、徳島県出身。徳島中、聖ウルスラ学院英智高を経て、2010年に日本ユニシス(現BIPROGY)に入社。6歳からバドミントンを始め、小学生時代から全国タイトルを獲得すると、中3の全中ではシングルスと団体の2冠。高校2年のインターハイでは3冠を獲得するなど、同世代のトップを走り続けてきた。社会人になってからはダブルスに専念し、世界を舞台に活躍。鋭い洞察力を生かした前衛での球さばき、精度の高いショットで構築するラリーは見る者を唸らせる。身長159.5cm、右利き。

インタビュー・文/バドミントン・マガジン編集部
写真/桜井ひとし

投稿日:2022/10/15
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