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【世界選手権ヒストリー】日本代表の熱戦譜 第1回大会は女子ダブルスの栂野尾&植野が世界一に!<1>

8月22日から28日まで、バドミントンの世界一を決めるビッグイベントBWF世界バドミントン選手権2022(東京体育館)が開催される。同大会が日本で開催されるのは初めて。ここでは、第1回の世界選手権から出場している日本選手の活躍を、数回に分けて紹介。また、バドミントン・マガジンは第2回大会から世界選手権を取材をしており、その特集が組まれた号の表紙も合わせて掲載する。

【第1回】

世界の頂点を決める大会がスタートしたのは、今から45年前の1977年。スウェーデン・マルメで、第1回世界選手権が開催された。それまでは、イングランド協会が1899年から主催する『全英選手権』が、当時の世界一を決める大会とされていたが、世界各国にあるバドミントンの団体を統括していたIBF(国際バドミントン連盟/現・世界バドミントン連盟[BWF])が、連盟主催による世界大会として新設。全英王者や各国のトッププレーヤーが参戦し、華々しく開幕した。

第1回大会には、日本のトップ選手らが出場。下馬評が高かった女子ダブルスでは、その年の全英選手権覇者の栂野尾悦子/植野恵美子が、ライバルたちを押しのけて見事頂点に立った。また、女子シングルスでは、全英選手権女子シングルスで4度優勝を誇る湯木博恵が、銅メダルを獲得している。

それ以降、日本選手は毎回世界選手権に参戦していたものの、第3回大会から出場するようになった中国や、伝統国のインドネシア、マレーシア、韓国、デンマークといった強豪国に差をつけられ、苦しい戦いを強いられることに。第2回大会で女子ダブルスの米倉よし子/徳田敦子が手にした銅メダルを最後に、日本選手は長らく不遇の時代が続く。

第2回大会はバドミントン王国・インドネシアのジャカルタで開催。女子ダブルスの米倉(左)/徳田が銅メダルを獲得したほか、男子シングルスの銭谷欽治(現・日本バドミントン協会専務理事)と土田証雄、男子ダブルスの飯野佳孝/土田などがベスト8に進出した

★特別掲載
バドミントン・マガジン
世界選手権特集号・表紙アーカイブ

第2回/1980年
表紙(左):男子シングルス準優勝
リム・スイキン(インドネシア)

第3回/1983年
表紙(右):女子シングルス優勝
李玲蔚(中国)

第4回/1985年
表紙(左):男子シングルス優勝
韓健(中国)

第5回/1987年
表紙(右):女子ダブルス優勝
林 琳/関渭貞、韓愛萍/李玲蔚
(中国)

第6回/1989年
表紙(左):女子シングルス優勝
李玲蔚(中国)

第7回/1991年
表紙(右):男子シングルス優勝
趙剣華(中国)

第8回/1993年
表紙(左):男子シングルス優勝
ジョコ・スプリアント(インドネシア)

第9回/1995年
表紙(右):女子シングルス優勝
葉釗穎(中国)

※第1回大会はバドミントン・マガジン創刊前のため、表紙はなし

文/バドミントン・マガジン編集部

写真/BBM

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