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【事故詳細と今後-1】「桃田の目を見て、涙が出てきた」<朴監督>

マレーシアマスターズ後に桃田賢斗を含む日本代表およびスタッフの3名が巻き込まれた交通事故について、日本代表の朴柱奉監督および中西洋介コーチが記者会見を行ない、事故当時の詳細や今後の桃田の復帰への見通しなどについて語った。

事故は、1月13日、マレーシア・クアラルンプールで発生。日本に帰国するため空港へ向かう途中、桃田らが乗った車が前方を走っていた大型車に衝突。ドライバーが亡くなる大事故だった。

インドネシアマスターズへ出場する選手、そのほかのスタッフは帰国する桃田らがホテルを出た約1時間後にホテルを出発。日本代表の朴柱奉監督および中西洋介コーチは、事故現場で救助活動にも加わったという。

以下は、記者会見での質疑応答。

――事故の状況について。

中西 桃田選手ほか3名が帰国するメンバーが4時半にホテルを出発し、そのほかの選手、スタッフはインドネシアマスターズに出場するために、1時間遅れで出発の予定だった。先発隊が出発して30分後に、先発隊の車に乗っていた平山(優)コーチから電話があり、事故を知りました。

午前5時1分、LINE電話で平山コーチと話し、朴監督、また地元マレーシア出身のタン(・キムハー)コーチとも情報を共有して対応に当たりました。出発する5時半までの30分の間に、現地の選手輸送の担当者やドライバーの会社に連絡をしてみたりと、できることをやりましたが、異国の地ということもあって、なかなか思うように事が進まなかったので、5時半に予定通り選手団を連れて、大型バスでホテルを出ました。

現場に着いたときには、救急車1台が到着していまして、レスキュー隊が作業をしていました。事故にあったのは5名、救急車は1台で、その時点では全員が搬送されたわけではありませんでした。私、朴ヘッドコーチを含め、数名が救出作業を手伝いました。

30分後くらいに、2台目の救急車が到着。私たちはインドネシアへ出発する便も迫っていましたので、空港に向かいました。空港で選手団を降ろしたあとに、救急車が向かう先であろう病院に行きました。

病院へ行ったのは朴ヘッドコーチ、私、タンコーチと神田(潤一)トレーナーの4名。到着したのは午前7時、8時くらいでしょうか。桃田選手は応急処置が終わり、検査をしていました。その後、私以外の3名は遅れてインドネシアに行きましたが、私は桃田選手とともに帰国しました。

 今年のシーズン最初の大会で桃田選手が優勝でき、いいスタートでしたが、本当に大きなアクシデントがありました。私も現場に到着後、現場を見ました。本当に大きなアクシデントだったと思います。

本当に残念ですが、負傷した3人の中では桃田選手はケガが軽かった。その日、昼くらいまでは本人もナーバスだったと思いますが、夜にはリラックスできたようでした。次の日からは、テレビも見ていましたし、LINEもしていましたし、現場での治療もあり、順調に回復し、その様子を見て安心しました。マレーシア協会からも、マレーシア政府からも心遣いをしていただいて、いい治療ができたと思います。順調にリカバリーしていると思います。

心配なのはメンタル面。事故のトラウマなどを乗り越えるために、少し時間が必要かもしれません。どれくらいで復帰できるか、いつ復帰するかはわかりません。個人的には、普通に復帰できればという前提で、次の合宿(2月3日~9日)からコンディションをつくりましょうと話をしましたが、私は今日帰国したばかりなので、この件はもう一度話し合いたいと思います。次の遠征に関しては、3月の全英OPを目標として考えています。

私は桃田選手が帰国する水曜日にインドネシアに入りましたが、その際にLINEで連絡しました。「いまはゆっくりして、リカバリーしたら、また頑張りましょう」と送りました。「ありがとうございました。また、次から頑張ります」と返事がありました。本人のそういう気持ちを聞けて、うれしかったです。

――平山コーチからの連絡はどのようなもので、それを聞いてどう思ったか。

中西 まず一言目が「事故がありました」と報告を受けました。1、2分ですが、「桃田はどうなのか」「コーチ自身はどうなのか」「ドライバーはどうなのか」といったやり取りをしました。深刻さがすぐに伝わってきたような声のトーンでしたし、私自身も取り乱しました。

――現場で救助に当たられたということでしたが、桃田選手には最初にどんな声をかけましたか?

中西 本人も放心状態というか、話ができるような雰囲気ではなかったので、とりあえず「大丈夫だったのか」という声をかけましたが、寄り添うような感じでした。

――その現場には、朴ヘッドコーチもいらっしゃったんですか?

 はい。道路に座っていて、その目を見たときに、涙が出てきました。血も出ていましたし、タオルもなかったので、私のジャージを掛けました。

「私、大丈夫ですか。バドミントンはできますか」と言っていましたので、「大丈夫」と言いました。時間が経って、2台目の救急車が来るころには少し落ち着いて、「携帯電話を持っていたはずなんですけど」といっていたので、私が車の中を探して、携帯電話を見つけて渡しました。だから、そのころにはなんとかメンタルは大丈夫だなと。

記者会見で事故当時の桃田のようすを語る朴柱奉監督(左)と中西洋介コーチ

【事故詳細と今後‐2】に続く

取材・構成/バドミントン・マガジン編集部

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