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佐藤翔治「3冠しても燃え尽きることはなかった」IHの想い出⑤

 

 

高校時代はほぼ敵なしだった佐藤翔治。その後は全日本総合4連覇など多くの実績を残した

佐藤翔治

東京・関東第一高卒、現日本代表女子シングルスコーチ

 

■インターハイ戦績

1年時〔98年・香川〕/団体ベスト4、シングルスベスト8、

2年時〔99年・岩手〕/団体・シングルス優勝、ダブルス準優勝

3年時〔00年・岐阜〕/団体・シングルス・ダブルス優勝

 

 

3冠はメンバーに恵まれていたから

3年のときに3冠を取れましたが、これは正直、メンバーに恵まれていたからです。同学年に翔(佐々木、現トナミ運輸)もいたし、2年のときも団体で勝てていますが、ダブルスで優勝した安村さん(康介、現トナミ運輸マネージャー)、全さん(仁徹、現関東第一高監督)、あと団体で自分とダブルスを組んだ山田さん(敏彦)もいたので、1人が単複を兼ねることもなくできたというのは大きいですね。その点では、団体でいえば(単複兼ねた)3年のときのほうがつらかった部分はあります。でも、1年生には池田雄一(現再春館製薬所コーチ)たちが入ってきていたので、それが大きかった。そう考えると、やっぱりメンバーが揃っていたからこその3冠だったと思います。

 

個人戦については、3年のときのダブルスはあまり負ける気がしなかったです。そのおかげで、シングルスでもほかの人より余裕をもって戦えたんだと思います。でも、そういいながらシングルスの準決勝は負けそうでしたからね(15-1、9-15、15-13)。そのときに試合したのがロンドン五輪でペア組むことになる川前(直樹、現NTT東日本コーチ)なんですけど、当時は苦手な選手でしたね。

 

シングルスの決勝は2年連続で翔と戦いましたが、あまり印象に残っていません。同校決勝で、淡々とやってしまった部分もあって評判もあまりよくなかったみたいですし…(苦笑)。決勝の内容どうこうというよりは、2人で決勝をできたということがよかったですね。

ライバルでもあり、パートナーでもあった佐々木翔(右)と一時代を築いた(岩手IH)

3冠は、一応目標にしていました。ただ、関東一高がいままでIHや選抜で優勝したことがなくて、2年生のときに優勝できたから「それを続けたい、連覇したい」ということだけしか頭にありませんでした。「自分が」という感じではなかったので、3冠を取ってもとくに変わることもなく、燃え尽きることもなかったですね。

 

チームメイトとの一緒の時間を楽しんでほしい

団体戦には1年時から出場。ルーキーながら出場した試合ではすべて勝利を収めた

こう振り返ると、IHではメンタルが鍛えられたと思います。たくさん試合をすることによっても鍛えられますし、3年間しかないなかで、みんなで戦える数少ない大会。どんな状況になっても、簡単にはあきらめられないじゃないですか。だからこそ、精神力やメンタル系が一番成長するんだと思います。

 

バドミントンはどうしても個人競技の側面が強いので、団体戦に出る人はチームメイトと楽しんでもらうのが一番だと思います。自分は小・中学校と団体戦がほとんどできなかったこともありますが、結果がどうであれ、いい思い出になると思います。当時のチームメイトとは、いまでもよく会っていますから。とにかく、チームメイトとの一緒の時間を楽しんでほしいですね。

 

個人戦に出る人も同じだと思います。学校の代表という気持ちで、思い切って戦えばいいと思います。あまり「自分のために」「一人で頑張る」という思いが強いと苦しくなるものです。IHは保護者をはじめいろいろな人が観に来る大会ですが、みんなに「勝つところ」ではなく「頑張っているところ」を見せるくらいの気持ちで臨んでほしいですね。

 

高校時代にバドマガ表紙を飾った佐藤翔治

 

佐藤翔治■Profile

さとう・しょうじ◎1982年9月19日生まれ、東京都出身。全日本総合ではシングルスで4連覇を達成したほか、アテネ・北京・ロンドンと3度の五輪に出場している(ロンドンはダブルスで出場)。12年で現役を退き、現在は日本代表・女子シングルスコーチを務める。

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