【特別インタビュー】「僕のバドミントン人生は福島で培われたと言っても過言ではない」(桃田)<東日本大震災から10年>

2011年に起こった東日本大震災から、3月11日で10年を迎える。多くのメディアが岩手、宮城、福島の「10年」の変化を伝える中、バドミントンからは日本代表男子シングルスで世界1位に輝く桃田賢斗(NTT東日本)が、当時の心境を振り返る代表取材に応じた。震災当時は富岡高(現ふたば未来学園高)の1年生として、被災地となった福島で生活していた桃田。10年が経った今、富岡から世界王者にまで成長した桃田が、静かに当時の様子を話した(取材日=3月6日)

―東日本大震災発生から10年が経過しました。

桃田 本当に長いようで短いし、短いようで長い。何回か福島に行きましたが、震災の後、富岡高校に入った時は想像を絶するくらいぐちゃぐちゃになっていました。高校の廊下なども、本当にぐちゃぐちゃでショックでした。

―富岡高校を訪れたのはいつごろですか。

桃田 2015年か16年に1回だけ入らせてもらいました。

―崩れた体育館や教室を見た時はどう思いましたか。

桃田 地震の揺れでぐちゃぐちゃになっているのは多少わかっていましたが、想像以上というか。いろんな棚が倒れていて、自分が座っていた席の場所もわかるけど、全部ぐちゃぐちゃ。机も椅子も全部倒れて、机の中身も全部出ていた感じで、あれは相当ショックでした。

あと、体育館。めちゃくちゃきつい練習をした体育館の照明が全部落ちて、照明のガラスが割れて…あれには言葉が出なかった。悲しかったです。

―当時は震災の影響で練習拠点が変わるなど、大変なことが多かったと思います。

桃田 (震災後に)チーム富岡としてみんなと再会できた時は、子どもながらに『あ、できるようになったんだ』と思っただけでした。でも、今考えるとすごいことだと感じますね。ああいう経験をして、もう一回チームの人たちと集まった時は、もうチームメートというより家族みたいな感覚で、すごくチームの雰囲気もよかったです。そこから本当に濃いバドミントン生活ができたかなと思います。

――チームが再集合したのはその年の5月ごろ。福島に戻るのに迷いはなかったのでしょうか?

桃田 一切なかったです。ずっと大堀先生(均・現トナミ運輸コーチ)とは連絡をとっていましたが、「絶対にまたみんなで集まって練習できる環境をつくるから、待っていてくれ」と言われました。その言葉を信じていたので、迷いはなかったです。

ーー震災当日は、桃田選手はどういう状況でしたか?

桃田 (当時は)高校1年の終わりで、インドネシアに強化練習という形で一人で行かせてもらっていました。そのお昼の練習中、(現地の)チーム関係者がすごい顔をして「桃田、こっちにこい」と呼ばれました。そこでテレビを見て、初めて知りました。

――テレビにはどういう状況が映っていましたか?

桃田 その時は仙台空港が映っていて、ほとんどが(津波で)流されている様子でした。最初は何がなんだかわかりませんでしたが、少しずつ地震が起きて、津波が発生したんだな、ということがわかりました。(福島の状況も)理解はしていて、「早くチームメートに電話しろ」と言われて電話したけど、夜までつながりませんでした。次の日に日本に帰る予定でしたが、このままでは帰れないかもしれないと言われて、すごい孤独感があったのは覚えています。

――その後のどういう状況でしたか?

桃田 次の日には日本に帰ることができて、そのまま(香川の)実家に帰りました。その後は大堀先生がトナミ運輸の関係者に連絡してくれて、僕は富山で練習させてもらいました。

――富岡高は練習の拠点を猪苗代町に移しました。プレー面や活動面の意識に変化はありましたか?

桃田 チームは本当に家族みたいな感じで、練習の雰囲気もすごくよく、充実した練習ができていました。猪苗代で再開することができて、よりバドミントンに対する気持ちがみんな強くなかったのかなと感じていました。

――バドミントンへの思いに変化はありましたか?

桃田 またやらせてもらえるとなった時、すごくうれしかった。そのうれしい気持ちのまま、ストイックに練習に取り組めたと思います。

ーーこの10年間で一番思い出すことは?

桃田 震災が起きた瞬間というか、インドネシアに取り残されるかもという孤独感は今でも忘れない。直近で言うと、(昨年1月に)事故にあって、復帰する時にふたば未来(旧富岡高)のほうで練習させていただいたのは、本当にエネルギーになりました。バドミントンが本当に楽しいと再確認できた場所です。

――桃田選手にとって富岡、猪苗代はどういう場所でしょう。

桃田 中学生から高校までの6年間ずっと福島にいて、第二のふるさとだし、僕のバドミントン人生は福島で培われたと言っても過言ではないです。本当に自分を成長させてくれた場所なのかなと思います。

――2019年の全英OP決勝は日本時間で3月11日でした。覚えていますか?

桃田 覚えています。試合前にちょっと考えました。僕はそういう時にいきなり思い出すことがあって、その時は「震災から、こういうことがあったな」とかを少し思い出しました。その日だから、ということではないけど、(被災された方に)少しでも見てもらえるなら、少しでも元気を与えられる試合をしようと思ったのは覚えています。すごく緊張したけど、なぜかそういうことは考えていました

―優勝という結果が、被災地の皆さんに力を与えられるという思いがあったということですね。

桃田 そうですね。被災地に行って復興支援を手伝えるわけではないので、お世話になった方に結果で恩返しする。スポーツを見ていると元気や感動を与えられると思うので、そういう面は少し力になれたと思います。

ーー震災から10年の節目に開催される東京五輪について

桃田 10年の節目で、自分の状態がすごくいい時に東京で五輪が開催されるというのは何かの縁があると思います。前回(リオ五輪)大会では本当にたくさんの方を裏切ってしまったし、迷惑をかけてしまったので、その気持ちもしっかり自分と向き合って、責任感を持って取り組んでいきたい。そういう中でも支えてくれた方々への感謝の気持ちをしっかりと持って、自分が悔いなく戦うのもそうだし、元気や感動を与えられるような試合をして、金メダルを取れたらいいなと思います。

構成/バドミントン・マガジン編集部

写真/代表撮影

投稿日:2021/03/09
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