【特別対談】Wキミコ、大いに語る。 陣内貴美子×クルム伊達公子 後編

ともに世界を舞台に活躍し、いまもバドミントンとテニスをけん引し続ける2人の対談。バドミントン・マガジン1月号では掲載しきれなかった内容の続編です。

取材日/15年12月1日

聞き手/テニス・マガジン編集部、バドミントン・マガジン編集部

協力/ヨネックス株式会社

 

 

80グラムと370グラムのラケット

――同じラケット競技として、それぞれラケットへのこだわりを教えていただけますか。

伊達 私はグリップ。

陣内 私も。

伊達 あとは重さ、バランス。

陣内 私も一緒です。ヨネックスには同じグリップで、同じ重さのラケットが何百本もあるんです。それを握って自分で合うものを何十本か選んで、次に振ってみる。振って、自分の感覚が一番いいものを選んでいました。あと、昔は全部ストリングを自分で張っていたんですよ。

伊達 え!?

陣内 いまは機械じゃないですか。私の中では機械で張るのは冷たい感じがして。ストリングは、自分の意思が入るものだと思うんですよ。スイートスポットは大体決まっているから、ここはしっかり張って、ここはゆるめで、というのがあって。

――グリップの感触はラケットごとで微妙に違いますか?

陣内 同じサイズのものだけど、しっくり来るものがあるんです。

伊達 私は(グリップでは)人差し指の引っかかり。YONEXの専任の方に巻いていただいています。

陣内 自分で巻かないの?

伊達 グリップテープは巻きますよ。ただグリップは、好きなグリップを見せて、「これが私の好きなものです」って伝えています。人さし指のところに凹凸がついています。そのほかは気にしないんですが、人差し指がちょっと引っかかれば、いい感覚が得られる。

陣内 確かに、テープを巻いていくときも厚さとか太さがありますね。全部同じようにやっていても、ちょっとずつ違う。これはその人の感覚にしかわからない。

――重さのバランスにもこだわりますか?

伊達 前にヒジを痛めて、肩も痛めたので、これでも(重量を)軽くしたくらい(370グラム ※編集部注:それでも男女通じてトップ5に入るくらいの重さ)。慣れるまでは軽くて振れちゃうから、振れ過ぎてブレるのをどうしたらいいの、みたいな感じでした。いまはそんなこと感じなくなりましたけど。

陣内 私はヘッドがちょっと重いほうが好きです。

伊達 (バドミントンのラケットを持って)これで何グラムですか?

陣内 80グラムちょっと。

伊達 軽ーい!

陣内 昔は重かったのよ。100グラムを切ってすごく軽いと思ったんだけど、いまは80くらい。

伊達 試合では何本持って行くんですか?

陣内 遠征のときで6~7本持って行った。でも実際に使うのは1~2本。でも、切れるときってバンバン切れちゃう。

伊達 シャトルとの摩擦で?

陣内 それもあるし、あとは強く張っているので乾燥したところでプレーすると切れちゃう。それが続くと困るけど。

伊達 切れなかったらどれくらいで張り替えるんですか?

陣内 切れなかったらずっとそのまま。でも、大事なときに切れると困るので細くなってきたら全部切って、自分で張り直す。いまの選手は全部やってもらっているけど、それじゃ愛情がないような気がして。

伊達 でもストリンガーの方も愛情がありますよね。同じ機械で張っても、張る人が違うと感触が違うんです。この間も日本のストリンガーに、「何か変えました? 温かみを感じる」っていいました(笑)。

陣内 多分それって、伊達ちんのプレーを見ている人じゃない?

伊達 そう。私は大会に行くと毎日張り替えるけど、大会中は必ず同じ人に張ってもらいます。そういった微妙なところをかもし出してくれる人がいるんですよ。

 特別対談

ラケットは欠かすことのできない相棒なだけに、2人ともこだわりを持っている
ラケットは欠かすことのできない相棒なだけに、2人ともこだわりを持っている

 

引退の決断~「世界で戦えないと思った」(陣内)

特別対談
現役時代、ストリングは自分で張り替えていたという陣内さん(写真は90年の全日本総合。隣は森久子)

 

――伊達さんは2015年で、ファーストキャリアとセカンドキャリアの年数が並びました。

伊達 今度の岐阜(カンガルーカップ国際女子オープン、毎年4月末~5月頭に開催)で丸8年です。

――陣内さんは、これほど長くやると思っていましたか。

陣内 最初(96年)の辞め方が潔かったから、多少は思っていました。それまで、いろいろな選手が引退するのを見ていて、ケガをしてやりたくてもやれないケースもあったし、もう目一杯やったから辞めるケースもあった。でも、伊達ちんはささっと辞めて“山口百恵的”だったでしょ。「あれ?」っていう感じでしたもんね。

――トップ10で辞めるのは初めてでしたよね?

伊達 李娜(リー・ナ)もトップ10で辞めたけど(2014年)、当時ではいなかったと思います。

陣内 ビックリしたというよりも、私は伊達ちんの性格を知っているから…。人の話は聞かないだろうなって(笑)。周りが「もったいない」「やればいいのに」と思ったら、余計に辞めるようなタイプ。

――12年間のブランクを経て復帰したとき、陣内さんはどう思いました?

陣内 戻すのは大変だろうなと思いました。自分も辞めてから、「いま現役に戻れ」といわれてどうなるかを考えたときに、体をつくらなきゃいけないし、勝負勘も失っているわけだし、どうするんだろうって。でも、だからこそ見てみたいと思いましたけど。

伊達 でも、(セカンドキャリアで)8年はないと思っていました。最初は、目はついていかないし、顔はぶれるし…。試合勘どころじゃなかった。

陣内 ブランクの間は女性的な生き方を優先していたような感じがしていました。辞めたときに、いままでできなかったことを全部やるといっていて。お茶をやって、着付けをやって…。

伊達 料理も。

陣内 あと(日焼けで)色が黒かったから白くするっていって、とことんやっていたんですよ、美白を。本当に白くなって。それでまた黒くなっちゃって(笑)。

伊達 ははははは(笑)。

陣内 選手時代とブランクの間の両方を見ていて、その両方が伊達ちんなんですよね。やるときはとことんやる。マラソンに挑戦するときも、タイムを決めると絶対に切ろうする。「これくらいでいいや」というのがない。だからいまもできているんじゃないかな。

――陣内さんがやめるときはどのような決断だったんですか?

陣内 私は世界で戦えないと思ったからです。

伊達 戦っていたじゃないですか。

陣内 いろいろあるんだって(笑)。国内で勝てたとしても、世界で勝ちたかったから。私の場合、サービスがそれまでは100%の確率で思ったところに入っていたんです。それが1球だけ「ん?」って思うときがありました。そのあと、しばらくしてからまた「あれ、ちょっと違うな」と思うことが続いて。周りは気づかなかったけど、監督に「陣内、サービスがおかしいな」といわれました。それがバルセロナ・オリンピックの半年くらい前で、自分としてもこれは世界じゃ無理だなと思って、辞めようと。イメージしたものとはほんのちょっとしたズレだったんですけど、それがすごく大事だったんです。自分のイメージの通りに打ちたかったから。

――引退を決めたときは、やり切ったという感じでしたか?

陣内 未練はなかったですね。いまでもないし、(現役に)戻りたいとも思わないし。

伊達 でも、負けず嫌いは相当です。

陣内 多分、すごく負けず嫌い。お互いが負けず嫌いだと思う。

伊達 私を上回る。

陣内 いやいやいや(笑)。

伊達 いつもいってますよね。

陣内 よかった、(2人が)違う競技で(笑)。

伊達 同じ競技だったら大変でしたね(笑)

陣内 昔の負けず嫌いと、いまの負けず嫌いは全然違うの?

伊達 やっぱり昔のほうが強いです。いまは、そこまで負けず嫌いじゃないと思う。だって、どんなに負けず嫌いでいたくても、そうもいかない体があったり、どうにもならないことが絶対にあるから。受け入れなきゃしょうがないものがいっぱいあり過ぎるので。

陣内 対戦相手はどう思っているの?

伊達 海外で私と対戦すると、みんな手を抜いてくれない。いつもリタイアしてるじゃん!って思うのに(笑)、私のときは誰一人リタイアしないし、こんな集中力の高さを出したことないでしょ、みたいな。かなりいい状態で向かってこられるからきついです。

陣内 そんななかで本当によくやっているなと思いますよね。

――他の競技を見渡しても、伊達さんの年齢でプレーしているのはすごいことです。

伊達 客観的に見ると、自分でもそう思います。どう考えても不自然ですよね(笑)。

陣内 いまは三浦カズさん(サッカー)や葛西さん(紀明、スキー・ジャンプ)も現役を続けているけど、どう思う?

伊達 同世代の人たちが頑張っているのは当然励みになるというか。エネルギーの素にはなりますね。

 

 

引退の決断~「納得できるのがどこか、見えづらい」(伊達)

特別対談
46歳を迎える今年も現役をひた走る伊達選手。スポーツ界を代表するレジェンドプレーヤーの1人だ(写真は15年)

 

――伊達さんは16年シーズンもやるんですよね?

伊達 体次第です。

――どういう1年にしたいですか。

伊達 健康な体で過ごしたいですね。それだけです。

陣内 若いときって、長いスパンで考えられますよね。たとえば、いくつのときに全日本を取って、いくつのときに4大大会のどれかを取りたいとか。だけど、伊達ちんのところまで来ると、シーズンを通してとか、来年のこととかよりも一つひとつの試合が勝負になってくる。一つが終わったときに、「次の目標は?」と聞かれても答えられないし、一つひとつの試合を自分の体と相談しながらやるしかないんじゃないかなというのはすごく思います。

伊達 目標が立てづらいですからね。目標を立てても、それが思うように進むことはほとんどないから難しいです。

――2015年はケガが多かった。

伊達 ケガばっかりでしたね。ステロイド漬けでしたから。どんな終わり方がいいと思います?

陣内 もうお腹いっぱいです、となったときじゃない?

伊達 お腹いっぱいになるかな。

陣内 わからない。お腹を下すかもしれないし(笑)、食べてもすぐ戻しちゃったり(笑)。

伊達 戻すくらいならいいけど、食べたい気持ちがあるけど食べられないとか(笑)。

――納得して終われると一番いい。

陣内 でも、ここまで来ると納得して終わるということはないんじゃない?

伊達 そうなんです。どこかで区切りをつけるしかない気がしてきて。

陣内 きれいな終わり方ができない人だと思います(笑)。

伊達 25歳のときはきれいだったじゃないですか!(笑)

陣内 あれはみんな呆気にとられていたから!

伊達 納得できるのがどこか、それが見えづらいですね。テクニックの完成形なんて絶対にないと思うし、追求すればするだけ課題は絶対に出てくるし。そのなかで、いつがお腹いっぱいと思う瞬間か。体力の限界とかケガとか、そこに行きついてしまうのはちょっと悔しいし…。

――体は大丈夫なんですか?

伊達 いまのところ大丈夫です。10年後くらいじゃないですか、ボロボロになるのは(笑)。

陣内 きっとそう。正座ができないとか、普通に歩けないとか、そういう選手をいっぱい見てきているから。いまは気も張っていて、いくら痛くてもそれを我慢するだけの精神力もあるだろうし、とことんやるとは思うけど。10年後、「あのとき辞めとけばよかった」っていってると思う。

伊達 「だからいったじゃん」とかいわれそう(笑)。

陣内 そうしたら、「あのときは若かったんだ」とかまたいって…(笑)。「45歳のときは若かったんだって」って。

伊達 絶対にいってる。「確かに20代とは違うけど、やっぱ45歳でも若かったんだよね」って(笑)。

陣内 でも、そのなかで活躍を期待しているファンもいるということ。ファンももちろんいるし、私はファンとは違った立ち位置になってしまうんですけど、どういう状況になってもプレーを見届けたい、見守りたいという気持ちはすごくあるから、やりきってほしいですね(おわり)。

 

 

特別対談じんない・きみこ(右)◎1964年3月12日生まれ。熊本県出身。熊本中央女子高2年時にインターハイ団体・個人複で優勝し、3年時には3冠を達成。16歳でナショナルチーム入りし、その後、日本のエースへと成長した。実業団ではヨネックス、サントリーでプレー。主な戦績は84年全日本総合混合複・88~90年同女子複優勝、90年ジャパンOP2位、91年台北OP優勝、全英OP2位、92年バルセロナ五輪出場(パートナーはいずれも森久子)。現役引退後はテレビやラジオのキャスター、また講演会や講習会などで幅広い活躍を続けている。

 

クルムだてきみこ◎1970年9月28日生まれ。京都府出身。園田学園高を卒業後にプロ転向。ライジングショットを武器にトッププレーヤーへと成長し、94年全豪オープン、95年全仏オープン、96年ウインブルドンでベスト4をマーク。日本女子最高ランクの世界4位を記録した。96年シーズンを最後に引退。01年にレーシング・ドライバーのミハエル・クルムと結婚。08年春に11年半のブランクを経てコートに復帰した。その後はツアー最年長プロとして活躍、46歳を迎える2016年新シーズンに臨む。エステティックTBC所属。

投稿日:2016/01/10
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