髙橋礼華「勝っても負けても、最後だから出たかった」IHの想い出① 

 

 

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髙橋礼華(右)は高校3年時に現在ペアを組んでいる松友美佐紀とダブルスで優勝

髙橋礼華

宮城・聖ウルスラ学院英智卒、現日本ユニシス

■インターハイ戦績

2年時〔07年〕/団体ベスト4、ダブルス2回戦

3年時〔08年〕/団体・ダブルス優勝(団体はケガのため出場なし)

 

IHで一番思い出に残っているのは、やっぱりネンザ(※編集部注:3年時のIH、大会2日前の練習で右足首をネンザ)ですかね。まさか自分がケガするなんて思っていなかったので…。そのケガで団体戦に出られなくて、個人戦も棄権することになっていましたが、当時キャプテンをやっていたのに、団体戦に出られなかった悔しさがありました。(団体戦で)みんなが頑張る姿をベンチで見ていて、なんでベンチにいるんだろうと思いましたし、個人戦だけは絶対に出たい、勝っても負けても最後だから出たいと思いました。

 

団体戦ではベンチからチームを鼓舞した
団体戦ではベンチからチームを鼓舞した

 

その年の選抜でも優勝していて、IHも優勝できるチャンスはあったので、出ないで終わるよりは、周りの選手はみんな私がケガをしていたのは知っていたので、それだったら出て、負けてもいいやと。とにかく、出るだけ出たかったんです。田所(光男)先生には口でいうのではなくて、(大会中の)練習で「できる」ということをアピールして出させてもらいました。

 

痛みと戦いながら念願のインターハイ優勝をつかんだ
痛みと戦いながら念願のインターハイ優勝をつかんだ

 

試合のときは痛み止めの薬を2時間置きくらいに飲んで、患部をテーピングでガチガチに固めてもらいました。チームメートからは「本当にケガしてるの?」といわれたくらい動けていたようですが、自分では足をコートに着けられないくらいだったんです。とりあえず試合ができるのがうれしくて、あまり覚えていないんですけど…笑。IHでの優勝があったから、私たちは(その年の)全日本総合にも出場することができ、3位になれました。

IHで何が成長したかといえば、あきらめない気持ちが一番ついたのかなと思います。ケガをしていても、最後の最後まで何が起こるかわからない。自分は中学生からウルスラに入って、その集大成としてのIHだったので、出ないで終わるよりかは、本当に出て終わりたかったんです。そういう思いが、最後に通じたのかもしれません。

自分はケガをしてしまったんですけど、出場する選手たちは本当に最後の最後まで気を抜かずにやってほしいですね。もちろん、高校生はみんなIHにかけてくると思います。IHで引退する選手もいるでしょうし、まだまだ上をめざす人もいるでしょうけど、最後まであきらめないで、楽しい気持ちで戦ってくれればいいなと思います。

 

優勝後のインタビューで笑顔を見せる髙橋
優勝後のインタビューで笑顔を見せる髙橋

■髙橋礼華 Profile

たかはし・あやか/1990年4月19日生まれ、奈良県出身。松友とのペアで、2015年7月現在世界ランク1位を保持している。A型。右利き。164㎝。

投稿日:2015/07/30
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